趣味は料理と旅行。写真は青森県八戸市蕪島神社に旅行で訪問した際に撮影。(2023年7月)
3・11のときの出来事は、いまでも強く記憶に残っています。当時12歳の私は、岩手県盛岡市にある小学校の音楽室で、卒業式の歌の練習をしていました。すると、床と壁が縦に、横に強く揺れました。揺れは非常に強く、ある女の子は恐怖のあまり体格のいい男子にしがみついていました。
私が住んでいた地域は内陸で、津波は来ませんでしたが、数日の停電、断水があり、いくつかの家具は倒れていました。震災の日の夜に、母が生活に必要なものを停電で暗いコンビニまで行って買い求めていたのが今でも強く印象に残っています。
この震災による津波などの被害によって、岩手県では死者・行方不明者が6000人以上にのぼりました。
震災の数日後、停電が復旧して、色々な情報が入ってきました。そのなかには、福島の原子力発電施設がメルトダウンを起こして爆発、大量の放射能を辺りにまき散らしたこと、そして放射能から逃れるために複数の市町村で何万人もの方々がふるさとを捨てて避難せざるを得ない状況に追い込まれたことも。あのときほど、原発は事故を起こすと大変なことになると感じたことはありません。
高校在学中、大学に進学して勉強したいと強く思うように。しかし、親からは、「そんなお金はない。高校を卒業したら就職でもいいんじゃないか」という言葉が返ってきました。「お金がないからしょうがない」この言葉で、進学をあきらめた方も少なくないでしょう。しかし私はどうしてもあきらめきれませんでした。経済的な事情で大学進学をあきらめる、こんな状況があっていいのか。こう強く思いました。
親戚の集まりの場でのこと。大学進学の話題で親と口論になりました。最後に母親が流した涙を今でも忘れられません。当たり前の話ですが、親も子どもが希望する進路に進んで欲しいと願っているのです。責めるべきは、親が貧乏なことではなく、一定の蓄えがなけれが高等教育を受けることがままならないという社会の仕組みです。
結局当時の私は、親とよく相談することもなく、受験のために自分でカプセルホテルを予約し高速バスを使って青森県弘前市へ。幸運なことに弘前大学に合格しました。合格を母に報告したとき、一言「おめでとう」と言ってくれたことを今でも覚えています。
大学では、自分の好きなことをたくさん勉強し、様々な体験をしました。お金はありませんでしたが、充実した学生時代を過ごすことができました。
2022年8月、大学院1年生のとき桜を見る会やブラック企業の問題を、権力に阿ることなく追及するジャーナリズム力溢れるしんぶん赤旗の存在を知り、ぜひとも読みたいと思い、青森県の党津軽地区委員会を訪れたことをきっかけに入党を果たしました。
入党後、党津軽地区委員長から共産党綱領を学びながら、民青青森県委員長や民主団体の方たちと核廃絶や平和について触れる学生時代を過ごしました。
原水爆禁止2023年世界大会にて
そうしたなか、2026年1月9日の夜、突如として高市首相が衆院解散を検討しているという報道が飛び込みました。解散総選挙の実施が濃厚になってきたときに、地区委員会から、小選挙区(静岡8区)の立候補要請を受けました。逡巡した結果、「今の政治を変えたい」という想いから、候補者を決意しました。
高学費や低賃金に苦しむ若者、物価高に多くの国民が苦しむなか、大企業、富裕層優遇を正す「Tax the Rich」や対話による平和外交を主張しました。政策的優位性を感じたものの、短期間の選挙戦に高市旋風が重なり、日本共産党は悔しい後退を喫しました。
現在、党静岡県西部地区青年対策責任者として、民青や党の青年分野を担当する一方で、市民が主人公の浜松市を実現するために奮闘中!
演説前の選挙カーにて、小池晃 参院議員と、もとむら伸子候補者(当時)との3ショット
2026年5月3日~5日にかけて参加させて開催された「浜松祭り」に、参加させていただきました。
浜松まつりを通じて、凧や屋台の迫⼒と、地域の方の温かさを感じ、ますます浜松が好きになりました!